「アナと雪の女王」のアナ役を演じた神田沙也加さんですが、もともとは歌が下手だといわれることもあったようなんです。
この記事では、そんな神田沙也加さんの「歌下手」から「歌うま」への紆余曲折をまとめました。
神田沙也加さんの「歌下手」時代
神田沙也加ではなくSAYAKAとしてデビュー
神田沙也加さんは2001年、中3の頃に「SAYAKA」の名でデビューしました。
母親があの松田聖子さんだったのもあって、その頃は「親の七光り」だなんて言われていたようです。
実際、彼女は「同じ道を選んでも比較されてつらい思いをするだろう」と、常々言われていたようで、
彼女自信も「歌手=タブー」という頭になっていたようです。
なので、デビューが決まった時も、嬉しいというよりも「本当にいいの?」という思いの方が強く、不安しかなかったそと語られてます。
この気持ちに共感できる人多いんじゃないでしょうか?
私はめちゃくちゃ共感です(*´-`)
その後2002年には、CDデビュー曲『ever since』を出し、20万枚売れました。
でも、プロモーションに10億円かかったといわれる割りにはあまり大成しなかったようです。
デビューがうまくいかなかったので、母・松田聖子さんは彼女を留学させようとしたそう。
しかし!
神田沙也加さんはこれに反発し、ミュージカルのオーディションを受けに行きました。
そして、2004年7月、20人の中から、オーディションで勝ち残り、
見事ミュージカル「INTO THE WOODS」で、赤頭巾役を演じました。
しかも、このミュージカルの演出家・宮本亜門との出会いが非常に重要だったらしく、
彼女からもらった「あなたはあなたでいいんだ」という言葉に神田沙也加さんは感激!
そしてこの言葉が後々功を奏すことになります!!
高校卒業を機に活動休止を宣言
その後もシングルやアルバムを発表していきましたが、
2005年、「高校卒業を一区切りにして勉強していきたい」という強い意志により、
「SAYAKA」としての活動休止を宣言。
高校を卒業するとひとり暮らしを始め、12歳年上でしかも離婚歴のあるギタリストと交際しました。
そしてそれを心配した松田聖子さんと大ゲンカし、近隣住民から警察を呼ばれたくらいだったようです。
相当すさまじい言い合いだったんでしょうね。人生がかかってますからね(>_<)
結果、神田沙也加さんは、2005年から1年半休養を取って、ニューヨークやロンドンで舞台を実際に観て学んだそうです。
この勝手な休養に対して母・松田聖子は激怒してしまい、給料を凍結して月20万円の生活費を渡さないという強硬手段に出たようです。
よって、神田沙也加さんは、毎日カップ焼きそばで過ごした時期もあったそうですよ!
それでも、宮本亜門さんからもらった”あの言葉”を励みに頑張れたのだそうです。
やっぱり、自分らしさを認めるって大事ですよね。こんな出会いを私もしたいです( ´ ▽ ` )
神田沙也加さん、「歌うま」に!
女優・神田沙也加として復帰
その後、2006年、舞台『紫式部ものがたり』で女優として復帰!
母・松田聖子が決めた芸名「SAYAKA」ではなく、本名の「神田沙也加」を名乗りました。
自分は自分なんだという覚悟を感じますね!
主役を演じることは少なくなり、メディアに出る機会も減ったようですが、ここで実力を蓄えていたようです。
『アナと雪の女王』でアナ役に!
そうこうして、ついに!
『アナと雪の女王』日本語版でアナの役を担い、
そのきれいな歌声と、素晴らしい歌唱力を世に知らしめたのです!
感動的な話ですよね~。映画がかけそうなくらい
世界の反対を押し切って、ひたむきに努力を重ね、最終的に大成するという感動実話。
うん。売れそう(/・ω・)/
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